大河ドラマ「麒麟がくる」丹波市ゆかりの地(2)
興禅寺
黒井城跡がある猪ノ口山のふもとに位置する興禅寺は、戦国時代は黒井城の下館でした。平時、城主はここで政務を行っていました。水をたたえた七間堀、高石垣と白い練り塀を巡らせ、堅固な防御施設を備えていました。戦国時代の居館の様子を今によく残しており、背後にそびえる黒井城跡とともに国の指定史跡となっています。
天正3(1575)年、天下布武の名のもとに各地に侵攻する織田信長は、明智光秀に丹波攻略を命じました。丹波国人衆の抵抗は激しく、中でも最後まで抵抗したのは八上城にこもる波多野秀治と、黒井城の赤井(荻野)直正でした。
天正7(1579) 年6月、明智光秀の大軍の前に八上城が落城、続いて8月、前年に城主の直正を病気で失っていた黒井城が落城し、丹波の戦国史はここに終わりを告げました。
その後、黒井城に入ったのが、光秀配下の名将・斎藤利三です。天正9(1581)年の終わりまで足かけ3年、この地に住みました。その間、利三の娘としてここで生まれ育ったのがお福(のちの徳川3代将軍家光の乳母となった春日局)です。
興禅寺境内には、お福の腰かけ石や産湯の井戸が残り、往時を偲ぶことができます。
観光課(春日庁舎内) TEL:0795-88-5115